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うわ、今頃出荷?・・・と昨日の続き。

08 31, 2010
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本国のWEBパーツショップに、ワゴニアのパーツをオーダーしたのは8月5日。
そろそろ動きが無ければベテランさんに相談でもしようか考えていた矢先。
やっとシップメントしてくれたようです(汗)

画像の一番下、今回のオーダーインフォメーションが表示してあります。
左端のオーダーデイトが注文日、右端のシップメントデイトが出荷日。

注文が確定してから、実に約1ヶ月。
出荷してから到着までに時間がかかることは覚悟していましたが、
まさか注文受付から出荷までにこんなにも時間がかかるとは想定外です。

まあ、これが商売に絡んでいたらヒステリックにもなるでしょうが
走るに支障ない、しかも自分のクルマの部品ですから全くハラも立ちません(笑)

さて、到着はいつになりますかね?






さあ、有名なSRカスタムショップから、「夏休みにアルバイトしてみていい感じなら、春から来ればいいよ」
なんて夢のような言葉を貰い、いや俺の人生(俺の選択)捨てたもんじゃねぇ、寧ろバラ色?
バイト先もオフ車乗りの先輩が多く勤めるGSで、休みの度に林道アタック。

そりゃもうかなり浮かれていましたね。
浮かれていたって言うか、若いってそんなもんかなと。

春休みはほぼ毎日の様にバイトを入れて、TSのパーツ代とガソリン代をせっせと稼いでいました。
春休みも終了に近い3月の末のある日、その日もバイトで終わってから本屋に立ち寄り
オフロード関係のパーツ本を購入しました。

そして帰宅中やっちゃったんですねぇ・・・事故。

所謂「右直事故」ってやつです。
私が直進、相手のY30セドが右折でした。
私からみると直進ではあっても非常に緩やかな右カーブの国道、4車線道路。
70km/hくらいかプラスアルファ程度のスピードだったと思います。

夜にクルマからみると、バイクのヘッドライトはスピード感がつかめないなんて言いますが
そんな感じだったのでしょうかね。

ジンワリ出てきたのであればきっと私も何らかのアクションを起せたと思うのですが、
私が付けたブレーキ痕が15m程度だったので、おそらく飛び出しに近かったのだと思います。

リアドア前方に真横から突っ込み、ハンドルとドアに右手を挟まれたままクルマの上に投げ出されました。
おそらく何とか抜けたんでしょう、そのままクルマの上を越えて5Mくらい飛ばされたようです。
落下した瞬間までは記憶していましたが、その後一度救急車の中で気が付いた後昏倒。

再び気が付いたのは病院でした。
状況がよく飲み込めず、起き上がろうとして右手をベッドにつくと何故かグニャリと支えられません。
先生か看護士さんか、慌てて制止して寝かせようとします。
途端に右手に激痛。

グローブを着けたままでしたが、右手を目の前に持ってくると「付いててよかったね~」程度に
かろうじて腕と繋がっているプラプラした右手。
「あ、こりゃやべぇ」なんてやっと実感がわいてきて「先生、俺事故っちゃったんですよ」
と訳の判らんことを言ってました。

「先生、俺、今日帰れますか?」と自分的には本気で聞いたのが伝わったのでしょうか、
先生は「う~ん、一寸むずかしいねぇ」なんて考えるふりをしてくれましたね。

グローブや衣服を脱がされて、即レントゲン。
鼻も打っていたらしく、血の塊が気管をかなり狭くしていたらしいですね。
全身の写真を撮って、先ずは右手の腱が切れていないかチェックです。
ラッキーな事に、腱は全て繋がっていて、それで腕と離れずに済んでいた様子。
急激な腫れも無く、血管も大きく損傷していないだろうと、脳みそのチェックです。

頭も写真上は損傷なかったのですが、兎に角初めは何も思い出せないんですよ。
逆行性健忘症ってやつで、ハデに脳震盪を起した後の一時的な記憶障害です。
事故をやる直前から順番に質問され、家族の名前や住所、電話番号、出身高校や中学のこと。
兎に角色々と聞かれて1時間くらいでゆっくりですが全ての質問に答えました。

当然ながら、その日はお泊り。
手首に関しては、次の日に専門の外科医がくるまではそのままと云うことになって筋肉注射を打ったのみ。
で、この専門の外科医って人との出会いはラッキーだったんだと思います。
東北大学の先生で、かなり高名な方だったようで、そんな人が片田舎の小さい総合病院に来ているなんて
思いもしませんでしたね、勿論診てもらっているときはそんな事は知りませんでしたし。

診断は漢字で15個くらいの長ったらしいものでしたので忘れましたが、
簡単に言うと「粉砕骨折」ってヤツです。
手首を構成している軟骨はズタズタ、骨も砕けた箇所で9箇所。

初日は筋肉注射を打っていたにも関わらずほぼ一睡も出来ず。
そりゃ痛いからなんですが、運ばれた部屋の隣のベッドの患者さんが、
なんと夜中にしこたま飲んで帰ってきまして・・・
もう半端じゃない鼾なんですね。
殺してやろうかと思いました、本気で。

どの道手術は必要な状態でしたが、腫れが酷くて手術が難しいから
腫れの様子を少し見てから手術、なんて言っていたのですが一向に引かないどころか酷くなってきて。
結局次の日の午後に緊急で手術。
全身麻酔でしたから、目が覚めて自分の右手を見て本気でビビリました。

整備をされている方は判るとおもうのですが、マグネットスタンドってありますよね?
ダイアルゲージをセットする磁石のスタンドです。
あれに1箇所、物によっては2箇所の自在継ぎ手(自在関節)が付いていますが、
あの継ぎ手を3箇所持っているアームが、腕や手の甲から生えている2.5mmくらいの
ステンレスワイアに繋がっているんですよ。

これが、その先生の考案した「創外固定法」って言う新しい骨折箇所の固定方法だったみたいです。
で、全国で私が2番目の施術例だったとか。プチ自慢。

まぁしかし、見た目のインパクトと言えば聞こえがいいのですが、平たく言えばグロいんですね。
創外固定に使っている太いワイアが4本、バラバラになった骨を串刺し固定するために差し込まれた
文字通り「串」が4本。

長い入院生活の始まりでした。




・・・と、気付けば相当長いですよ?今日の記事。
続きは明日で許してください。





                 
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過去。若しくは私を形成しているもの。

08 30, 2010
どんな方が見に来られるか判らないブログで、このような記事もどうかな?なんて考えました。
まぁしかし。ここは私のブログであり、私個人の情報をどの様に公開しようが私の勝手でありまして(笑)



超不景気と云う時代背景もあって、ここ2年ほどは悩める若者によく出会います。
自分について、または道について、人は常に悩みながら考えながら生きていますので
これは若者に限った話ではありませんね。
どれだけ歳を経ようが、悩み考える人は皆「年頃」なんです。

悩みの数だけ可能性が広がるのではないかと昨日書きました。
かく言う私も色々と悩みましたし、それなりに周囲を振り回してきましたね。



こう見えて(いや、見せてねーじゃん)高校3年までは真剣に、そりゃもう本気で「音大」を目指していました。
ですから高校3年、正確には秋くらいまでですかね、いろいろ勉強してましたよ。
声楽、ピアノ、トランペット・・・

しかし高3の秋に、お世話になっていた高校の非常勤音楽講師に諭されたんですね。
「楽しく音楽していたかったら、仕事にするのはよせ」って。
おそらく私の中にある、ムラッ気に気付いていたんでしょうねぇ。

暫くは突っぱねていましたよ、「俺なら出来るに決まってる」ってB型エンジン全開で。
でも、数回に渡って説得されて段々とブルーになっちゃったんです。
まぁなりますよね、これだけ繰り返されると「俺ってセンス無いんだきっと・・・」みたいに。
特別上手い訳でもありませんが、決してヘタクソでもなかったんですが。

それからちょっと心に穴が開く期間がありました。
支えを鯖折されたに近いので、無理も無い話です(と思ってます)

一定期間過ぎて、穴を開けっ放しにしておく訳にも行かず、ここから長い悩み期間突入です。
しかしナカナカ違う道が見えてこなくて、親にはとりあえず大学行きなさいと。
そこでゆっくり考えればいいじゃないか、いや寧ろゆっくり考えるべきだ、先ずは大学行けってな感じで。

なんかね、嫌だったんですよとてつも無く。
音楽にしても親の勧めで始めたものでしたが、それに夢中になった結果、今こんな満たされない自分が居る。
そんなメンタリティも若いならではと弁解する訳なんですが、そんな恐ろしい思考が出来上がっていました。

もう、親の言う事は何一つとして受け入れる精神状態じゃなかったですね。
極端な話、やりたくない事でもいいから親の鼻をあかすことができればいいとか。
この辺りも良く居る若者の典型的なメンタリティでしょ?
今思うと笑えてきます。



でも流石にやりたくない事にわざわざ手を出すのも嫌なので、
きちんと冷静に、「自分の中から出てくる」道を待ちました。
そしてある日、ポコン!と出てきたのがバイクだったんです。
でも暫くは考えました。
親は勧めていないにしても、これも親から貰った原体験があって出てきたものじゃないか?ってね。

でもですね、考えれば考えるほどにバイクの道って素敵に輝いて見えるんですよ。
峠道の麓近くの、ロッジ風な自宅兼店舗。
続きの大き目な板張りガレージにはスナップオンのでっかい工具箱があって、
ヴィンテージモーターサイクルが沢山並んでて。

「これしかねぇ!!」って迷いが消えたのが12月くらいでした。
しかし私を運ぶ風は完全に受験に向いており、ちょっとやそっとでは変えられそうにない風向き。
ですから勉強をしているふりで、何時も何時もバイク雑誌ばかり読んでいましたね。

で、受験もしました。
当時の頭では風向きを強制的に変える方法がこれしか思いつかなくて、やりましたよ、白紙受験。
しかも全部。

で、結果も出揃った3月の頭。
父親と3日間くらい夜通しの議論を戦わせて、やっと整備専門学校への入学の許可を取り付けました。
今思えば甘ったれですよねぇ。
奨学金でも借りて、完全に親から離れて勉強すればよかったものを。
結局は親の金で学校に行かせて貰ったわけですよ。
ま、でもその後ろめたさは常にあって、みっともない成績を取るわけには行かないって所では必死でしたね。



専門学校で1年から2年に上がる直前の2月、3社ほど自分で「雇ってください!」と電話をしました。
SRではいまや知らぬ人は居ないカスタムショップや、グッツィの老舗ショップ、
カスタムフレームを作っていたショップ。
するとSRのお店が色の良い返事をくれて、夏休みにアルバイトさせてもらう約束もできました。

そのまま春休みに入って、新しく始めた友人の勤めていたガソリンスタンドのアルバイトの帰り道。
ここで大きく私の方向を変える出来事が起きます。
今思えば結局は同じ、そうそう大差ない方向転換かな?って感じですが。





うひゃあ、久々の写真無し記事・・・明日は春休みの出来事と、その続きを。





                 

2日分の徒然と、VISION 。

08 29, 2010
ダメですね、金曜日土曜日と転寝が起きると朝、みたいな・・・
それだけ日中キッチリ動いていたんですねぇ、と前向きに捉える。

金曜日の夜は、記事を書きながら寝ていました。一度は起きたのですが、
そこから書き続ける体力は元より気力も無く、そのまま布団へGO!
あ、ウチじゃ私だけ布団です。家人とエータロはベッド。





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土曜の日中、書きかけの記事を完成させようともしましたが、なかなか時間が作れず。
この日は私の父親の誕生日を祝うことと、何時もの週末の実家での食事を絡めました。
で、仙台は青葉山にある某イタリアンレストランへ行ってきました。

父親と云う人間は私以上に偏屈な男で、所謂B型の中でも最強に分類される人間です。
このような男に「誕生日おめでとう」などと、こうやって記事にしているだけでキーボードを叩き割って
しまいそうなくらい気持ち(居心地)の悪いものです。

勿論親として尊敬しているかいないか、感謝しているかいないかになれば全て肯定ですが、
それとは次元の違う問題なのです。
しかし私も父親になり、家族としての記念日の捉え方が変化しましたね。
いずれ悪い事ではありませんから、面と向かって「おめでとう」は無いまでも食事くらいには連れて行きましょう。

で、そこまでは良いのですよ。
このレストランは2階建てで、1階には団体のパーティが入っていました。
それもこのレストランの売りのようでして、年がら年中パーティ招致に一生懸命な様子。
でも、しっかり個人客を2階でさばく準備もあるんです。
私達も予約して行ったのですが、食事の出てくるテンポの悪さにはウンザリしてしまいました。
時間にして一般的なコース料理の出てくるインターバルよりも少々長い程度ですが、
私達が注文したのはランチコースです。
そのランチコースの一品一品が恭しく時間をかけて出てきたら嫌にもなってきますよ。
さらに、ここまでならばまだ我慢も出来るのです。
最後に出てきたメインの料理、おそらくオーナーか料理長か、それらしき人間が自分で運んできましたが、
この料理に付け合せてあったサラダのドレッシング・・・私が思わず口から出してしまいそうになるくらいの塩!!
私だけかと思ったら、同じ料理を頼んだ家人のドレッシングも同様。

どれだけ不味くとも、今までお店で出てきた料理にケチをつけた事はいままで一度もありません。
しかしこれは明らかな、そりゃもう明白な「確認(味見)もれ」ですよ。
よっぽどさっきの料理長を捕まえて、正座の一つもさせようかと思いましたが、間の悪い事にこの日は記念日な訳でして。

どんな職業でも同じ。特に私達自動車整備業界に置き換えたなら、これほど判りやすい反面教師もないものだな、
などと不思議にポジティブな考えで帰ってきました。





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その近所にあったお稲荷さん。
お稲荷さんは仕事に関するお願い事が良いとされていますよね。
家人が直ぐに50円を差し出し、「5円じゃないの?」と言う私に「50に縁がありますようにだよ」と。
色々とバックアップがあって人は生きているものですが、そんなありがたみを思わず感じたシーンです。

お稲荷さんはかなりいかつい顔ですが、これくらいの方が私には良いかと。








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土曜日は何時ものようにエータロも寝つき、どれブログでもと思いましたが日曜はJDスターです。
つまり3時30分起き・・・ですので渋々9時過ぎに布団に入ります。

2010のJDスターも第3戦、今日はエントリーも少ないのですが、
スタッフも都合が悪くて来れない人が居たりと何時もより少なめです。
ですからあまり写真が撮れませんでした・・・

写真は朝のライダースミーティング。
中央4人の右の方はクラスフォーエンジニアリングの横田さん。
その左側の方がレッドモーターの中村さん。
一番左がニコラス・ペタス(さん?)。

今日は朝痛い転倒が一台ありました。
フィニッシュラインを全速で抜けた直後の減速に失敗し転倒、そのままバイクと一緒に40Mくらい
引きずられ、そこで分離しバイクはさらに登り坂を30Mほど進んで止まりました。
幸いにもライダーは左の脛にヒビが入ったのみ。
200km/hオーバーからの転倒・・・ぞっとしますね。





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これは本日全ての走行を終えた直後のレフトレーン。
真ん中に一本、一際黒々とタイアマークが引かれているのが見えますでしょうか?
最後の走行は、入念にバーンアウトしていたプロストックの車両でした。

かなりの接着剤を撒いてはいますが、それは朝の話です。
ゴール付近の撒き直しは有り得るにしても、コースは朝だけでしょう。
つまり、接着剤の上に今日一日分のタイアのゴムが乗った、さらにその上にゴムを置いていくほどに
グリップしているってことですね。
しかもどれだけグリップしていても、ただきちんと転がるだけでは柔らかいドラッグスリックと言えども
こうはならないでしょう。
常にスリップ直前のスリップ率30%弱の空転を保ちながら進むライディングテクニックと
エンジンのパワーがあるからですね。

それにしてもJDスター、運営側も、参加側も非常に大人な方。
その上進行も上手です。
非常に良い大会ですね。

今年は勿論最終戦までお手伝いしますが、ご縁があれば来シーズンもお手伝いしたい、そんな大会です。






そうそう、金曜日も1名、迷える若者と将来について少しの時間語らいました。
本人は色々な感情が交錯してダウンポイントに差し掛かっているのですが、
結局は悩みの分だけ可能性も広がる訳ですから大いに悩むべきだと思います。
ここで本人の意思を最大限尊重しつつ適切なアドヴァイスを進言するのは非常に難しいのですが、
意見を求める人間を限定せずに様々な人間の意見を求めて欲しいものです。

しかし、そこで得た意見の中からのチョイスだけはチャレンジブルであって欲しい。
やりたい事に早いも遅いもない(受け売りなのですが)のですが、若さと体力でしか乗り切れない
チャレンジも確かにあるのです。






じゃあ私の場合はどうなのでしょうか?
そんな話をこの後続けて行こうかなと思ってます。





                 
プロフィール

eizou1972

Author:eizou1972
大震災直前に独立を決意し、3年弱のブランクに苦しみながらもなんとかお客様のお役に立とうと奮闘しております。

お問い合わせなどございましたら、以下のアドレスまでお願いします。勿論コメントも大歓迎です。

eizou_eds@yahoo.co.jp

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